書評:『箱の家に住みたい』難波和彦/王国社

木の家に住まおうとする人間として、その起源たる箱の家について知らぬというワケにはいきませぬので(^_^;)。

箱の家に住みたい

箱の家に住みたい

Amazonにて中古購入。箱の家についての新しい書籍「箱の家 エコハウスを目指して」(NTT出版)は中古ではなかったのでとりあえずまだ未購入。ま、こちらはそのうち。

  • プロローグ 「箱の家」へようこそ
  • 第1章 「箱の家」はどのようにして生まれたか
  • 第2章 開かれた住まい「箱の家ー1」と「箱の家ー2」
  • 第3章 立体最小限住居・再考
  • 第4章 原型としての「箱の家」
  • 第5章 「箱の家」を展開する
  • 第6章 「箱の家」第二ステージへ
  • 第7章 なぜ「箱の家」を選んだのか
  • 第8章 「箱の家」の建築家がいま考えていること
  • 第9章 「アルミエコハウス」を体験する
  • エピローグ 「箱の家」のこれから

本書は箱の家50まで頃に書かれているので、現在につながる部分はまだ含まれていない。しかし、すべての始まりとなった「箱の家ー1」が生まれるに至った経緯が描かれているので興味深い。

(p.25)
いろいろ考えあぐねたあげく、僕はこれまでのやり方を逆転することにした。つまりクライアントの要望を聞くことから始めるのではなく、与えられた予算で、僕が想定する最低限の性能基準を確保できるような案をつくることから始めるのである。設計条件は、予算、敷地、家族構成、そして最低限の性能だけに限定する。クライアントの細かな要望を聞く前に、まず実現可能な案をつくり、それをクライアントに提案することから始めるというやり方である。
与えられた予算で、僕が責任を持って実現できるような案を示すことが、建築家としての責任だと考えたわけである。苦し紛れの方法だったが、経験のないローコスト住宅を設計するには、他に方法は考えられなかった。

そしてさらに興味深いのは、箱の家がただ1つの建築家による建物として終わるのではなくシリーズ化していった経緯だ。ここでシリーズ化されていなければそのさらなる展開系である木の家も生まれなかったわけで、だとしたら私たちはどんな家を建てることになっていたのだろうか。

(p.73)
「箱の家シリーズ」を展開させるにあたって採用した方法は、一言でいうならデザインの「標準化」である。「標準化」とは、デザインをする時によく出会う条件に対して、一定の「型」の解答を用意しておき、それを組み合わせてデザインをまとめる方法である。

箱の家が木の家につながっていくにはまだ何段階かプロセスを経なければならない。

(p.124)
竹を割ったような思い切りの良さを持つ「箱の家ー1」に比べると、「箱の家ー21」は何だか重装備で、デザインのキレがイマイチだった。空間のコンセプトは、くり返し使われることによって疲弊するのかもしれない。あるいは部分的な改良のつみ重ねは、当初のコンセプトを濁らせてしまうのかもしれない。ともかく僕の目には、この家は「箱の家」が潜在的に持っていた可能性の終着点のように見えた。そして、これ以上、同じような家はつくるべきではないだろうと思った。

その結果、箱の家シリーズはSE工法やアクアレイヤーなどが組み入れられ構造として木造と鉄骨造のちょうどいいとこ取りのようなコストと機能の両面を満たすようなシステムが組みこまれた。アクアレイヤーは木の家ではオプションとしてもまだ共通化されていないが、SE工法による重量木骨造の形態はより特化したかたちで標準化されて引き継がれている。そして建築家としての拘りを取り去り、徹底的な標準化をさらに推し進めた形態が木の家といえるのかもしれない。一種の工業製品化された木の家においては「部分的な改良の積み重ね」が徹底して行われ続けていることこそが箱の家との大きな違いとなっているのかもしれない。

(p.102)
商品化とは一般化である。建築家の押野見邦英さんは、「箱の家」を無印良品的なデザインと評している(『jt』1997年9月号評)。...(中略)...「箱の家」は無印良品のように最大公約的なデザインを目指してはいない。

この本が書かれた後、現実のものとして無印良品が家事業を始め、そしてその原型として箱の家を選択することになろうとはなんとも面白い展開だ。とはいえ、箱の家の1つの発展系として木の家を産み出すことに挑戦した難波和彦氏の挑戦あってこその木の家なわけで、建築家の色をできるだけなくそうとしている木の家を選択した立場であっても、その起源たる箱の家とその生みの親である難波和彦氏、そして木の家につながる経緯を知っておくことは無意味ではないと思う。
無印良品という「最大公約的なデザイン」を目指す(^_^;)会社が関わっていても、木の家が一般大多数に受け入れられるものではないとは思う。一定の範囲の人が受け入れることができ、そしてその中のさらに一部の人が実際に自分の家として建てることを選択する一つの特殊解的存在だ。

(p.177)
建築家に設計を依頼することは、専門家に家づくりを代行してもらうことではない。依頼する際には、住まいに関する自分の意見を明確に述べることを求められるし、精神分析めいた質問を受けることもある。何回も打ち合わせを行い、細部にわたって話し合わなければならない。設計を進めるうちに要求条件は変わっていくし、クライアントは将来の自分の住まい方について、時には生き方そのものについて考えざるを得ない。

自分の建築スタイルに強い拘りを持っている建築家に依頼する場合と比較してムジ・ネットのような立場への依頼の場合はそこまで「精神分析めいた」質問をされることはないが、それでも多くの話し合いと意見の調整は必要になる。でもその経過のなかで家に限らず様々な問題がより明確になってくるし、夫婦の間での意見のぶつけ合いも必要になるので「こうした機会」がなければなかったであろう時間を過ごすことができている。建築家に依頼するにしろどんなかたちにしろ、自分の家を建てるプロセスに自分が関与することに興味があるのであれば、ぜひチャレンジして欲しいと思う。