管理・責任・権利

二十歳になるまで、親には子供の管理責任があることになっている。故に、子供が行った行為に対する責任は親にもあるということになる。それが正しいのかどうか、二十歳という区切りがいいのかどうか等については、色々議論があるところだろうけれども、そういうことになっている。しかし、自分の子供であっても二十歳を過ぎれば一人前の大人として扱われるので、親には管理責任はない。たまに二十歳を過ぎた子供のことであるにもかかわらず、親が出てきて謝っていたりするが、よくわからない。しかもマスコミに向かって謝っていたりするのはますますよくわからない。大人とは、大人であるということにより得られる権利を得る代償として、自分に責任を持つ必要が生じる、ということだ。子供の責任が限定的なのは、裏返せば権利もまた限定的であるからといえる。
では組織や社会においてはどうだろう。大人であっても、組織の一員としての行為は組織にも責任があることになる。組織はどんなにフラットな組織であっても管理する立場の人間と管理される立場の人間によって構成されているのは、そうして「組織としての」責任を明確化するためだ。組織の長になるということは、組織全体に対しての責任を負うということだ。しかし、どんな組織に属しているとしても人は24時間365日の全てを組織として行動しているわけではない。責任を問われるべきはその人自身なのか、組織なのか。場合によってはその判断は難しい。社会という大枠の組織になると、もはや権利と責任というもの自体が明確ではない。たとえば環境破壊の責任は実行者自身とその結果から利益を得ている社会それぞれにどのくらいの責任があるのだろう?
責任を取って辞任だとか、連帯責任で甲子園出場辞退だとか、それははたして責任の取り方なのだろうか。社会的な納得を得るということは責任の1つではあると思うが、はたしてそれだけが責任の取り方であるような「あたりまえ」はちょっとおかしいのではないかと思う。