人間の可能性

人間は多くの可能性を自ら捨て去っています。たとえばSEの仕事をやっているからと言って、明日から絵本作家になることが出来ないことはないと思うのですが、普通はそんな急激な方向転換はしません。自分が何に向いているのか、どんな才能を持っているのかはやってみないとわからないはずなのですが、現在の状態を大きく変える一歩を踏み出すことを、多くの人間は躊躇します。どんなことでも、できる可能性を持っているのですが、人はそうした可能性を外から制限されるのではなく、自ら制限しているわけです。
逆にそれは、連続性を保つためには必要な行為でもあります。妻子のある旦那がいきなり「明日から世界一周の旅に出る」とか言い出したら普通困ります。人間は昨日の状態を今日も維持し、そして明日もその状態が続くものと考えて行動しています。来月の給料もあると思うから、カードで買い物をするわけですし、将来の生活を意識するから貯蓄や投資をするわけです。外部要因で「本人が望まないにもかかわらず」変化を迫られることもあるでしょうが、自ら変化することができるはずであるにもかかわらず、それもしない。可能性の採用は、現在の状況を自ら壊してしまうことと表裏一体であることが多いので、人は継続性の維持を優先使用とするが故に、可能性の選択を制限します。
ただ、よくよく考えてみると、現在の状況を壊すことなく選択できる可能性も実は多いことに、多くの人間は気がついていません。SEが自分の時間を使って絵本を書いても仕事を失うわけではありませんし、妻子を説得して世界一周の旅に一緒に出ることが不可能かと言えば、そんなこともないわけです(まぁこっちは状況の激変が伴うのであまり現実的ではありませんね)。
何が言いたいのか、だんだん自分でもよくわからなくなってきましたが、要は現状をなるべく、出来る限り維持しつつも、可能性へのチャレンジは続けていきたい、そんなことを思った今日この頃なのでした。