仕事スタイル

多くの人は、完結した仕事をすることはない。
物を作る仕事であっても、サービスを提供する仕事であっても1から10までをすべて同じ人が提供することはまずないといっていいだろう。家族経営の小さな商店のような場合であっても、どこからか商品を仕入れて売っているし、家族の中でも役割分担がなんとなくあるはずだ(店番とか、配達とか、帳簿付けとか…)。農業のような仕事であっても、自分で作った作物を自分で食べることは仕事ではないわけで、露天売り以外は農協などに卸し、販売を委託している場合がほとんどだろう。
そうした分業体制は会社の規模が大きくなればなるほど明確に「部署」というかたちで分離され、担当範囲が明確に区分されることになる。さらに現在では企業間の分業もその規模をワールドワイドに拡大しており、非常に複雑な組み合わせによって製品やサービスが作り出され、消費者の元に届けられている。
ちょっとしたものでも1人で1から作り出すことは難しい。鉄板を折り曲げ、穴を開け、基盤にトランジスタをハンダ付けし、基盤を入れた何かをつくることはやろうと思えばできるだろが、そもそもの鉄板やトランジスタを個人のレベルで作ることは非現実的だ(よっぽどのお金と場所と時間があれば可能かもしれないが、きっとその仕事をしだして何らかのアウトプットを生み出すことができる頃にはきっと1人の仕事ではなくなっている)。
高度な専門性を必要とする分野など、そもそもスペシャリスト化が必要な分野ではそれぞれの分野のスペシャリストがそれぞれの分野を受け持つことにより高度な製品やサービスを生み出すことができるのだから分業化は必然のことといえる。
高度な専門性を必要としない分野における分業化の最大の理由は、1にも2にも効率化だろう。製造単価を削減し、生産のための所要時間を削減し、コストをそぎ落とすことによって製品は消費者の手の届く価格で提供されている。こうした仕組みがなければ、きっとこの文章を書いているパソコンも「理論的には可能であっても誰も手にすることはない製品」だったはずだ。
このように効率化のためには分業が必要なわけだが、人間とは難しいもので単純作業の繰り返しに耐えられない。あまりにも高度な分業化である生産ラインを構築した企業などが、今では逆に生産ラインによる生産をやめ、最終的なパーツの組み立てにおいては1つの製品を1人の担当者が組み立てあげるなど、「作業の効率化」のみを目指すのではなく、「人間の仕事としての効率化」を目指すように変わりつつある。担当者に仕事に対する面白さを持ってもらい、創意工夫や改善によって効率化し、生産ラインに匹敵する生産効率を確保することができる場合は、そのほうが望ましいといえるだろう。
どんな仕事でも全てにかかわることはできないが、人として面白さや自分なりの工夫などができる必要はある。
21世紀になり、どのような仕事のやり方がよいのか。様々な分野で様々な取り組みがなされている。きっと22世紀になるまでに同じ製品・サービスを生み出すにしても仕事のやり方はだいぶ変わっているだろう。